迷う、見失う。それでも何かを見つけたい。

東京から逃げるように地元に帰ったメンタル弱めの迷えるとりひつじ

働かない環境に慣れない

会社で働くのは嫌いです。

会社が嫌いです。働くのは嫌いでありません。暇なのが耐えられないので、働いてる方が好きです。でも会社は嫌いです。会社ではどこでも人間関係がうまくいかないので、ストレスが溜まります。好き嫌いが激しいのか、嫌いな人間に対してはとことん嫌いになります。むしろ嫌われる態度と対応をします。嫌われる努力は高確率で成功します。そして人間関係が破綻します。後で反省したりもします。真面目に働く人は、不真面目な人を見ればそれは快くないでしょう。でもそれは、その人の都合であって、私の都合ではありませんし、その人の常識は私の常識とは違うのです。そのため、認識の違いで衝突することがあります。普通や、常識、当たり前、社会人なら当然、それら諸々の言葉はいまいち理解出来ないものが多いです。言葉で説明するのは難しいので、あまり口論もしたくありません。あなたの言ってることはわからない。しっくりこない。論破したいわけでもないし、理解も望まない。構わないで欲しいと思う。わかり合うことは出来ないと思う。社会への不満をどこにぶつけたらいいかわからないし、誰かが代弁してくれたら楽なんだけど、どうも自分の考えは少数派のようです。大きな波にのみこまれている。不都合な真実なのでしょうか。それか幼稚な駄々のようなものです。

大前提として、働く人は生きたいのでしょう。お金が必要なのだと思います。私はそこまで苦を感じながら生きる。生き続ける理由が乏しい。なぜ生きるのかよく考えます。なぜ生きるのか考えると、大抵暗い気持ちになり沈んでいきます。生きる気力がわかないと体にも力が入らないようです。心と体の繋がりは深いのでしょうね。生きる気力がわかなくて立ってるのも辛い。立っていられず座り込む人の気持ちを当たり前のように働く人は理解出来るのでしょうか。楽しむことが下手です。幸福との付き合い方もわかりません。仕事は常に我慢しています。仕事に我慢して、人に我慢して、自分の感情に我慢して、我慢して我慢してこのままでは生きる意味がないことに考えが行き着くと行動は早いです。辞めます。最初の東京で働いたときは半年。福井に帰って繊維会社で3年半。半年間の無職生活を経て、そろそろ働こうかと気持ちになり、パーテーション組立ての会社に入り、求職中に他に何社か気になる会社をチェックし、同時に面接を受けていた会社から採用の連絡が入り、試用期間中に辞めて移りました。正直、失敗したと思ってる。製造業は自分に合わないらしい。同じ空間で同じ作業を繰り返すのは、余計な考えをしやすく、気持ちが塞ぎ込んでくる。嫌いな人でもずっと一緒に同じ空間にいなくてはならない。働くってそういうもんなのか。

また会社を辞めたくなっている。でも今回はすぐには辞めない。衝動的に辞めて自由を堪能した結果、また働きたくなって、会社勤めに戻る未来が容易に想像つく。だから働きながら転職するか、会社に頼らなくてもよい状況を作るか、辞めるのはなにか対策を打ってからにしたい。

そのために、自分で作って売る小商いの拡充。資産運用を利用して利益の確保。この二つに注力する。他の分野での収入源も探す必要がある。ネットを利用すれば何か見つかるだろう。ココナラなんかもまだ触っていないし、未開の分野は多い。

1人で生きていく決意を持てれば、もっと話は早い。まず長生きすることを諦めればお金を稼ぐ必要はなくなる。貯金が尽きれば死ねばいい。国の保護に頼る方法もある。そう思うと無理して生きる必要は何もないのかもしれない。幸いな事に、家は裕福であるようだ。実家住まいで親が存命で健在な内は、お金がかからない。

生きる理由はわからないが、死ねない理由ならあった。十二国記とHUNTER×HUNATERの結末を読んでいない。あとはもっと女の子と遊びたいとか、望み薄だけど。自分を見失い、希望や目的を忘れやすいから、その場その場でなんとなく生きるしかない。そういう生き方をしてきた。28歳。こんなものなのか?