迷う、見失う。それでも何かを見つけたい。

東京から逃げるように地元に帰ったメンタル弱めの迷えるとりひつじ

好きなように生きていいならどうするだろうか

彼女の仕事が終わるのをローソンの駐車場の車の中で待って2時間が過ぎた。

体がとても冷えた。寒いならエンジンをかけて暖房を入れればいいのにつけようとしない。元々エンジンをかけっぱなしにするのが好きでないからだ。その無駄な信念のために寒く辛い思いをしている。行動を変えないところを見るといくら辛かろうと構わないらしい。理由として1つはいくら寒くても死なないだろうということ。(死ぬほど寒ければ暖房はつけるだろうけど)。もう1つはこれほど待つことになるとは想像していなかったこと。2時間も待つと予めわかっていれば別の場所で待機していただろうし、甘く考えすぎていた。

とにかく今は寒いし、待つことに嫌気がさしているし、不快な気持ちがとても高まっている。可能なら泣いてすっきりしたいくらい悲哀を感じているし、誰かに怒りをぶつけたい気持ちもある。(ぶつけるべき相手はいない、が、あえてぶつけるならスマホにあたるだろう)。そして体はとても疲れている。

スマホの操作に苛立ちを覚える。画面が小さい。操作がしづらく肩が凝る。意にそわない突然の電話。人との関わりが生まれる。腹立たしい。よってまずはスマホの粉砕…はせずに売却してお金を得たい。

「好きなように生きる」においてお金の役割は大きいと想像する。あるだけのものでなんとかするなら、ケツを決めて行動するのも悪くない考え方だろう。つまりいつ死ぬか。苦痛のために生きるのはおかしい。仮に仕事が苦痛ならば仕事のために生きるのはおかしい。

同棲を初めてお金が飛ぶように減っていく。お金を失うことは自分にとってかなり苦しいことだ。エアコンをつけているだけでも苦しいと感じる。苦しさを感じるくらいなら寒さのなかじっと耐えたいと思うほどだ。エアコンは幾つもある苦しさのほんの僅かな1つに過ぎない。実家を離れ生活を、それも他人と暮らすということは、とてもお金がかかる。働いた賃金の多くは生活費に取られてしまう。以前のような貯金は出来ない。貯金が進まないことは、生活の余裕が蓄えられないということで、つまり働くために生きているようなものではないだろうか。

自分はいまそのように思えて生きるのが辛い。

寒さが辛い。

そろそろ待ち始めて3時間経とうとしているのが、時間を無駄にいているのが辛い。

辛い。

なぜ辛い思いをしてまで生きる必要があるのかわからず、好きなように生きたいと思えてくる。

辛い。