日記
朝起きてご飯を食べて福井新聞読んで泊まりに来てる姪が騒いでるのを横目にしばらくぼーっとして着替えて車に乗り仕事現場に向かい早くついて待ってるまでの時間が非常に憂鬱で具体的には自分の大工としての適性を否定したり自分の意思が優柔不断なことに罪悪感を感じたり何もかもがくだらないようで虚無感を感じたり元気の欠片も出てこなくてあぁ今の自分とてもマズイなぁどうしようと泣きたいような気持になったりで、困った。
仕事が始まるとそこまで気が落ち込まなくて、なんとか気を持ち直せた。働いてる(体を動かしている)方が気が楽になるのかもしれない。
35歳の若い大工さんの手元について基本二人で現場に入っているけど、応援で他の大工さんを呼んだりもする。今は66歳になる見た目ほぼおじいちゃんのずっと喋り続ける訛りが強くて言ってることの半分くらい聞き取れない人が来ており、一緒に仕事をしている。
今日そのおじいちゃんに、「親方から学んで大工の一人前になるには覚悟が必要や」「楽あれば苦ありって、今楽をすれば後苦労するんやぞ」と、年の功か説教くさいことを言われた。自分は決して辞めないような覚悟は持っていないし、苦労することで楽になれるとも限らない、苦労を推奨するような言い方に少し疑問を持った。
年金をもらう年齢になっても働いているのはマンマを食うためやと言ったこの人は、言葉を素直に受け取るなら「お金のない人」ということになる。話のオチに「今も苦労しているんやけど」とも言い、66まで苦労してもまだ苦労が足りないようでは、それは間違った苦労ではないかと思った。
しかしこうして働くことは、体を動かし頭を使うことで健康寿命を延ばすには最適な選択で、お金までもらえるのだから、最高だ。実際はお金に困っておらず「道楽で働いてる」のであれば、まさに自分も羨む理想的な老後でもある。
老齢になっても働く大工さんは結構な数いる。65歳を過ぎて年金を貰える年になっても働いているのはなぜかと聞いてみると、お金が必要だからと皆が同様に答える。大工は大変で底辺の仕事だと言う人も多い。
自分は好きで趣味で働いている。嫌だったらやらなくていいし、自分にメリットがないなら続ける必要もない。仕事などいくらでもあるし、アルバイトでも問題ない。貯金して投資してこの先20年か30年か健康に働き続ければ、望まない労働はしなくてもいい状況になってるはず。そこまで先のことでなければ望みを持てないようではなにか間違ってるのかもしれない。
なにが言いたかったのか・・・。
なんだか最近世の中に反発したくなることが多い。