迷う、見失う。それでも何かを見つけたい。

東京から逃げるように地元に帰ったメンタル弱めの迷えるとりひつじ

「棟梁」を読んで

小川三夫

f:id:komadori11:20201025112408j:image

 

すごい面白かった。

法隆寺に代々仕える宮大工、西岡家に弟子入りした人の語り書き。

後から聞いた話、半ば無理やり押しかけの形で弟子入りしたらしい。

小川氏が最初に門を叩いたのは十八歳の時だった。

しかし断られてしまう。

理由は二つ、「仕事がないから」「十八歳では年がたけすぎている」

十八でも弟子入りするには遅すぎるという。

自分は今年の六月から大工見習いとして初めて今二十九歳。

あと一月も経たずに三十歳になる。

周囲の大工さんからよく言われるが、いかに始めるのが遅いのか実感した。

 

知らないことが多かった。

今の時代ではどうか知らないが、宮大工は貧乏。

いつでも仕事があるわけでなく、仕事のないときは畑を耕していた。

宮大工は、民家を建ててはならない。

民家をつくることは、お金の仕事。汚れるためしない。

時間や金に追われるような仕事をしてはならない。

自分の家すら造らない。

福井には「永平寺の宮大工が造る家」というキャッチコピーでCM出している会社がある。

周囲の大工の評判はあまり良くない上に、どこに宮大工がいるんだ?という話。

 

従弟制度で修行する話面白かった。

自分の仕事に対するモチベーションがあがった。

無心で刃物を研ぎたいと思った。

 

始めたばかりの頃、日当が百円で散髪にもいけないと言ってたのが、

大阪万博の昭和四十五年(1970年)には、日当がぐんと上がり一万円になった。

その頃の大学卒業者の初任給が三万円。

今の大工の日当は一万二千〜一万五千程度らしい。

よく世話になってる大工さんが日当が低いと愚痴っていた。

大工の身分は下がり続けているらしい。

 

大工の、というより何か学ぶ心構えが良いと思った。

素直な馬鹿が良い。

やる前に考えて、できねえと思うようなやつは、職人としては使えねえで。

それでは、小さな体験からはみ出せねえっていうことだ。

それじゃものづくりは無理や。

やってみろと言われたら、「うん」と言うのが大事。

 

師匠の西岡常一氏は親に農業の学校に入れられた。

木を知るには土から、じっくりと長く腰を据えた考え方が良いと思った。

今の時代は早過ぎる。

千三百年前の建物、法隆寺は、千年を超える木があってこそ。

今はその木も日本での入手が難しく、台湾材、米材の輸入に頼ってるらしい。

一本一本の木はそれぞれ違う。

日本の材料を使わずに日本文化といえるか確かに疑問。

建築法についても考えるところがあった。

 

昔の技術は素晴らしいと思った。

木は面白い。

 

市販の道具は信じない。

三角定規や、指矩、水平盤、自分で作り直すという。

 

鳩工舎という育成組織を作った小川さん。

組織を大きくすること、人を育てること、

誰から教えてもらったわけでなく、自然と向かっていった。

本のカバーには

組織は一度は栄える。しかし必ず腐り始める。

いつまでも俺が棟梁ではあかん。

一番腐るのは上に乗ってるリーダーからや。

今度は俺が席を譲る番や。

この言葉を見て、本を借りようと思った。

 

法隆寺を見に行きたくなったし、鵤工舎が作った建物も見てみたいと思った。

あと驚いたのは、この本が面白いとうちの会社の人に話したら、小川さんやろ?

西岡家に弟子入りした。という知ってる人風な話し方で、

実際に面識もあるようで、関係者の知り合いが福井にもおるから紹介しようか?

と言ってきた。

 

改めてすごいなこの人…と思った。

 

宮大工の本だけど、大工だけじゃなくて全ての職人を目指す人に読んで欲しいなと思った。

こんなところで宣伝しても意味ないだろうけど、思ったまま書いておく。