迷う、見失う。それでも何かを見つけたい。

東京から逃げるように地元に帰ったメンタル弱めの迷えるとりひつじ

疲れたなー

なんだかなー疲れた。

税務署に電話した第2ラウンドも疲れた。

思い出すと苛立ってしまうし、疲れたから考えたくない。

続きは親に説明して選手交代してもらうことにした。

お国の方もさ、こいつ贈与税の疑いあるんちゃう?程度の確信もないままハガキ送って、確認したらそういうの(贈与税、確定申告)は自己申告だからこちらの方ではわからないと言うしおかしいんじゃないの。じゃあ曽祖母が亡くなって引き継いだ土地の件だと思い聞いたら、土地の価格と番所を確認してまたお電話下さいと言われ、土地の権利書かなんか知らんけど記載された内容を元に後日電話したら、ほんまにその価格あってる?違うかもしれへんからうちに来てやと、結局行かなあかんのかーい。これまでのたらい回しにされた電話のあれこれはなんやったのか憤りを感じる。

 

結婚の話も考えるほどに思考の泥沼に沈んでしまって、生きてる意味を考え出すダメなパターンに入る。

基本的に自分は、生きることが辛く苦しいものだと思っている。

末永くお幸せにと祝福する言葉があるが、ぞっとしてしまう。

末永い苦しみの中で僅かな幸せと共にの方がしっくりくる。

辛くて苦しいからこそ、日常の些細な出来事に喜びを感じることが出来ると思う。

つまり意識的に幸福を感じるボーダーを下げている。

難点としては幸福を感じることに居心地の悪さを感じて、生きづらくなることだろうか。

やれやれ。

 

生きづらさは色々な場面で感じる。

そもそも生きることが辛く苦しいものであるならば、わざわざ永く苦しむ必要はどこにあるのかと思う。やりたいことしてさっさと逝けたらそれでいいだろう。

仕事であれ、世間の言葉であれ、ニュースであれ、無責任な言葉や押し付けてくる考えに理解が追いつかず頭が混乱する。

知りたいのは事実のみなのに、どうしても人から発せられる言葉は主観的で感情的で本音なのか建前なのかも判然としない。

世間とも人とも関わることは疲れる。

 

愚痴とも不満ともつかない内容になってしまった。

以上です。