姉の結婚式で思うこと
36になる姉が結婚した。
まさか、本当に嫁入りするとは思ってなかった。
出会いから結婚までの期間は約一年間。
結婚すると最初に聞いた時は、決断が早すぎると思った。
出会いはお見合いで、こちらは福井、向こうは関東に住んでおり、まだ数えるほどしか会っていなかった。
終わってみると、結局良いタイミングだったかもしれないと思えてくる。
姉は運勢だとか占いが好きで、自分には理解出来ないときがある。
「私あと⚪︎年以内に結婚するから」と自信満々に言ってきた時は、その自信はどこから来ているのか不思議だった。
実際に結婚式を目の当たりにすると、占いのおかげなのか、人の直感は侮れないようである。
同じ実家で暮らして、日常生活の節々を近くで見ていた側からすると、本当に結婚していいの?と旦那に詰問したい。(しない)
家の中でもバタバタうるさく走り騒々しいし。
隣の部屋でもうるさいイビキが響いてくる。
はばかることなく大きく下品なゲップをして、部屋も散らかり放題。
ただ、いつもお菓子やお惣菜をたくさん買ってきてくれて、旅行に行く時には自分にお金を渡してくれる気っ風の良さ。
面倒見が良く世話焼きで、お年寄りに好かれる人の良さはある。
自身の目下の懸念としては、姉が出て行くことでお菓子などの食糧事情が低下するであろうことが現実問題になりそうだ。
これで2人の姉が結婚して、残るは自分だけとなった。
親戚に「次は◯君やな」と言われるのは、快いものでない。
自分はあまり結婚を意識出来ない。
結婚はしたくてするもの、というよりも、世間体や義務感によって形式的に行うものであるように感じる。
披露宴の主役でもないのに、ほとんど座って飲んで食事して眺めるだけでとても疲れた。
しかもバカみたいに高い費用を払ってする必要はどこにあるのか疑問を感じる。
余興の一環で、ピアノを一曲弾いた。
千と千尋の神隠しで使われたone summer’s day。
こういうとき、普段趣味でピアノを弾いていて、何か人前で披露出来るものがあって良かったと感じる。
演奏はまずまず上手くいった。
演奏する前は以下の心境だった。
自分がピアノ弾いたところでなんになるんだろう
— とりひつじ (@Komadoril11) 2019年6月23日
虚無感
披露宴の最中、なにか社会では生きていけない欠落を感じた。
世に価値のあるものはどれほどあるのだろう。
心が救いを求めていて、それは自分に出来ることを精一杯することでしか叶わない気がする。
向かう先はまだよくわからないけど、とりあえずもう少し制作とか頑張りたい。